かものはしの海馬的場所

シャンソン漫談蒻崎今日子の愛のブログ

手短にするのことのできないブログ

先週、『宇宙』というテーマで『イカを呼ぶ!』公式ブログ記事を書いた。

==前書き==


宇宙といえばJSTバーチャル科学館というサイトを音ありで見るのがたまらないのだが、
今日のところはそんな魅力的なサイトを見ている時間はない。
これからはじまるあたしのブログがたいへん立て込むからである。

立て込んでしまうのには理由がある。

このテーマで書くのなら、
宇宙と真っ向から向かい合ってみようと決めたからだ。

思春期には誰もが、
宇宙のことを考えたらもうギャーっとなっていたはずだと思う。
宇宙が始まる前のこと。
宇宙の外側の世界。

中学生の頃はもう考えるのをやめるために、
宇宙がでっかい神様の手のひらの中にあって、
その神様ももっとでっかい神様の手のひらの中の宇宙にいて、、、
っていう、マトリョーシカ式の宇宙ということで手を打っていた。

そんな自分とお別れだ。
今日、あたしは宇宙を知る。
宇宙を語る。

そんなわけでどうにもこうにも手短にすることができない話になりそうなのだ。

誰でもわかる言葉で簡潔に書くつもり。


====「宇宙」本編スタート!====


宇宙のことを考えるときにどうしても理解できなくなってしまうポイントは、
宇宙が今でも広がり続けているという点だ。

その速度は光の速さ以上とも言われている。
光の速さを超えると過去にさかのぼれるなんて話もあるが、
そういわれる理由となっているのは
「速く動いているものは時間がゆっくりになる」という説があるからだ。

そんなはずないだろう、1秒は1秒だろう。
実際に時計が遅れているなんて言っても
速く動くことで負荷がかかって、
時計が疲れて遅くなっているだけじゃないのか。

おばけなんてなーいさ、おばけなんてうーそさ、というノリで相対性理論を理解せずに来た。
だって実感できないんだもの。

しかし、人工衛星の時計は実際に地球の時計よりも遅く進んでおり、
プログラムで修正しながら、地球に情報を送っているという話を聞いたとき、
時間のずれは確実にあると認めるしかないと思った。
しかもそのプログラムは相対性理論の計算に則ってるというのなら負荷だなんて言えない。

あたしが認める認めない以前に絶対そうなのだけど、
実感できるかどうか、納得してるかという話なのだ。

それよりおばけなんてないさを歌ったりしている場合じゃないのだ。
読む人の集中力が保たれているうちに、話をしてしまわなければならない。

時間の流れ方は場所によって違う。
まずそれを認めなければならない。
亜高速の宇宙船で1年間旅行したらその間に地球では何十年というウラシマなんとか効果の話だ。

では時間とはなんだろう。
時間の流れ方が違う二人の姿はどう見えるのだろう。
亜高速の宇宙船の人と、地球上の人が、電話で話せたらどんな風に聞こえるのだろう。

答えはきっとこうだ。
宇宙船の人からすれば、地球の人がすごく早口に聞こえる。
地球の人からすれば、宇宙船の人がスローモーションでしゃべっているように聞こえる。
見た目もきっとそうなる。
時間というのは変化のことだ。
時間とは、落ち葉が舞い落ちるのを見るようなものだ。
変化こそが時間だ。

光速で動くと時間が止まるというのは、例えていうなら、
光速で切られるカメラのシャッターが一度も下りないということだ。
時間が止まっている人を外から見たら止まって見えるはずで、
止まって見えるというのは変化がないということで、
変化がないというのは映画のフィルムが先に進まないような静止の状態ということなのだ。

時間、イコール光。

あたしたちの1秒が1秒なのは、
この速度で進む光の世界にいるというだけなのだ。

自分のいる空間の中にある光の速度が、イコール時間の流れ方と考える。



そして次の疑問はこれだ。


光って何?

アケミって誰?

このマッチ何?

エロティティドコモ、って何なのよ!

一度に理解しようと思っても無理ので、
答えを出しながら、次の疑問へ進むやり方をとった。

まずお気づきだと思うがアケミとエロティティドコモのマッチはこの話に関係ない。

エロティティドコモは高田馬場にある。

そして光とは何なのか、なのだが、

磁石が動くときに起きる電場と磁場、その繰り返しで発生する電磁波の一部、
ということがわかった。

違う、そういうことを知りたいのではない。

光はもっとすごいやつなのだ。
光の中身を知りたいのではなくて、光の真理を知りたいのだ。

この世界で目にする光は、まずは太陽だ。
太陽は燃えている。
では炎とは何か。
気化した燃料が激しく酸化する際に発生するエネルギーによる発光現象。

違うんだ、そういうのじゃない。
この流れでいくと、雷も蛍も深海魚も発光現象で済まされてしまうだろう。

実際そうだろうし、でもあたしが知りたいのはそこではないのだ。

しかしヒントにはなるかもしれない。
同じ電磁波の一部である電波やX線やガンマ線も同じように速度を持っているはずで、
光だけが違うのは、目に見えるというところだ。
時間は目に見えない。
光は目に見える。
時間は光なのだから、光は時間の速度で進んでいるといえる。


では宇宙が光の速さで広がっているとしたら、
広がる前の空間の時間は止まっている。

光が届くことで時間が進みだすのじゃないか。

これは・・・。

あれか、『はじめに光ありき』とか・・聖書で言ってなかったっけ?

あたしついに聖書にまで行き着いた?

・・・・。

違った。『はじめに言葉ありき』だった。


え?・・・はじめに言葉?!

あたしの中で宇宙は、この世界は、
まずはじめに光があったという結論に至ろうとしたときに、
はじめに言葉ありき、って言われてしまって衝撃だ。

クリスチャンではないので聖書に書かれている言葉を
そんなに気にしても仕方ないのだが。

==閑話==


聖書にはこうあった。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。 神は光を見て、良しとされた。

おお、良しとされた。
よかったな、光。

そうか、はじめに“光あれという言葉”ありき、ということね。

てことは神ありきなのだが、、、

またここで神様登場?!

神様を登場させるとすべて解決してしまう。
マトリョーシカ式宇宙だ。
話を戻さなければ。

==閑話休題==


はじめに言葉ありき、という言葉を重要視すると神様云々になってしまいがちなので、
これまで考えてきた通りに結論づければ、
世界のはじまりには光があった、ということなのだ。

光なくしてはこの世はなかった。

光がある世界で、光と闇をを知っている物質で構成されているのだから。
光が前提なのだ。

なければないで今とは違うこの世になっていたのではないかとも思うが。


宇宙に関して、ひとつの結論に達した。


宇宙は、光の副産物だ。
光があってはじめて時間があって、物体が変化する。

そう思うと、宇宙なんて大きいだけで、光の不思議さには足元にも及ばない。

光が産まれるにはそこに『磁力』と、『移動』があるのだが、
目に見えて生まれてきた最初が光なのだと考えれば、
人々が光を信仰の対象にしたり、
神様から後光が差していたりするのも当然頷ける話だ。

光の誕生がすべての始まりなのかもしれない。
そしてその光の誕生はやはりどう考えても偶然という必然。
光について考えるのは、また次の機会にとっておこう。

宇宙のことは中学生のときよりも少しだけわかったような気がしている。

正直、あたしはまだやっぱり、少しだけ納得できていない。
いや本当は少しだけどころでなく、全然。
どんな答えを出しても、調べれば調べるほど、
ほころびが出てきてしまうからだ。

光速度不変の原理の話とか加速したときの時間の変化、速さによる重さの変化。
磁力と移動について。ニュートリノや反物質。
だからとりあえず今のあたしになんとなく理解できるもので、一旦結論。

不思議な感覚に陥ってしまうことなく、とりあえず軽いゴールにたどり着きたかった。
ゴールと言えるかはわからないが、
マトリョーシカ式の宇宙よりはマシなゴールだろう。


ただ前半部分は相対性理論なので、ちょっと役に立つかもしれないと思っている。
  1. 2012/11/21(水) 23:59:26|
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