形骸化のなにがわるい

  11, 2012 23:59
3.11。

テレビは1年前の今日の話題。
街でも、さまざまな形になっている2012年の、この日曜日。

それを形骸化と嘆く人がいた。
あたしはそうは思わない。
形骸化さえもしていないことがたくさんある。
形骸化といわれてもそれに影響される人間はいる。

2年後、3年後、5年後、どれだけの″形骸化″が残っているだろう。

1年前を振り返ってみた。
公演が残り3日中止となり、1週間後に振替公演をしていた。
あれがたった1年前のことか。
誰かの言葉がしみこんできたり、誰かの存在をあたたかく感じたり、
あたしはまた、時間を逆の使い方をしてしまったんじゃないのか。
あたしがあたし自身のために、
自分の話なんてちいさくて、だから、誰かのために、
どちらでもいい、形骸化していくであろう3.11という日に
自分が、誰かが、誰かのために自分のために、何かを想う日なのであれば、
その想いがまた何かになる日もくるのだから。

あたしが、あたしたちが、できること。
それを強く想った時だっただろう。
生き方を改めて強く自覚した時だっただろう。
2011年の3月は。

14時46分。
黙祷をするつもりだったのに、なぜかその一瞬だけ居眠りをするという奇跡にごめんなさい。


Thanks for the encouragement.

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