死刑と言える自分

  30, 2011 23:53
「裁きの日」絶賛本番中。

ここに至るまで、過去の裁判員裁判のことを調べたり、
似たような判例を調べてみたりして勉強をした。

そんな中で、最近の裁判員裁判のニュースを目にする。
やはり、裁判員となった方々が、「死刑」という結論を出すのはかなり難しいようだ。

被告人の弁護士が、
「(死刑を)躊躇するなら出さないほうがいい」と
裁判員に訴えたという弁護があった話を聞いておどろいてしまった。
それは違うとあたしの感情は捉えた。
ただ使えるものは使う、弁護士としては合っているのかもしれない。
でもほとんどの裁判員は動揺しただろうと思った。


あたしはイメージする。

あたしには、死刑と言えると思う。


事実関係を争っているなら、難しいと思う。そうなると言いづらくなるのはわかる。
被害者と加害者の関係だとか、
事件が起こる前の出来事だとか、
不可抗力だったり、正当防衛だったり、
そういうことじゃなければ
あたしは躊躇するほうが人道に劣るのではないかとさえ思う。

稽古中の裁判員エチュードで、
一度本気になって死刑に反対したことがある。
体が震えるほど意見を伝えた。
その判例には反対する理由になる争点があった。

裁判員たちにに課せられている守秘義務も重くのしかかるようで、
意見交換の場も作られたらしい。
(参照:外部ニュースサイト


あたしが死刑もやむを得ないような判例ならばそう言えるだろうと思えてしまうのは、
あたしが生まれ、育った国が日本だからだろうとは思う。

だから、死刑反対の意見もちゃんと聞いてみたいと思った。
もちろん調べた。
しかしあたしの意見に影響を及ぼしてくれそうだとは思えなかった。

意見、というか、もう生活なのだから、短い期間に文字で読んだところで確かに難しいだろう。

そして先日、舞台を観に来た谷仲恵輔が
「死刑にされることを目的として殺人を起こした事件を知った時に、死刑は廃止すべきだと思った」
という意見を聞かせてくれた。

今は「裁きの日」の事件について考えることでスグいっぱいなので、
本番が終わるまではちょっと考えられそうにないのだが、
やはりナマの、感情や実感のこもった意見を聞くことが
自分に影響を与えてくれそう。

みんなは嫌がるだろうが、
打ち上げで聞いてみようかしら、死刑制度について。


ちなみにこの件について勉強して以来、
サスペンスなどのドラマで犯人が捕まったときに
計画殺人だし、2人殺してるからこれは死刑だな、とか
あとは責任能力か・・とか考えてしまうようになってしまった。

とりあえずあたしと「土井さん」の意見は近い。が、別の人間。
稽古期間は蒻崎の意見が一瞬出てしまいそうになることもあった。
だけど今は土井さん。
蒻崎さんの意見は少し忘れて過ごす、残り一週間。

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